月寒懐古録
北海道では珍しく軍都として栄えた歴史を持ち,今も幾つかの戦争遺産が残る月寒史の探求を行う、非常にコアで自己満足系のブログでございます。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

懐古な家屋2

こちらも実家の近くで、同じ形の住宅が2棟見えますね。元々は4棟並んでいたんです。「建売住宅」だったんでしょうかね…。南向きに玄関と庭があるので明るい雰囲気のお宅です。




私の実家はモルタルを塗っていない木造平屋だったので、とにかく2階建ての家には強い憧れを持ってました。
恐らく私はこんな住宅を、他の土地で見掛けても然程気に留めないんでしょうけど、小さい頃から見慣れてきた懐かしさがあるだけに執着しちゃうんでしょうね… 他人のお宅なんですけど…



【photo:きゅうぴい2007】
スポンサーサイト

懐古な家屋

レトロな民家といえばやはり木造家屋ですし、実際私の「生家」もそうでした。結構不確かな記憶ですけど、木造丸出しの家屋ってのは30年代以前の建築物に多かったんじゃないでしょうか?私が見てきた40年代の風景は、木造にモルタルを塗った家屋が登場し始めていた気がします。




当時は新し目だったモルタル塗り家屋も今では珍しくなっちゃいました。上の写真は実家近くに今も現存する一般の方のお宅です。このお宅の隣に友達の家がありました。つきさっぷ郷土資料館とは目と鼻の先です。玄関戸と屋根だけは新しいものに替えられてますが、おおかた当時のままです。



【photo:きゅうぴい2007】

みずたまりの道

doronko.jpg


こんな道。昔は住宅街のいたるどころにありました。

水溜りの中をよく見ると、意外と1円玉が落ちてたり
アメンボが居たり
ブクブクっと 不可思議な気泡が出てたり…

写真ですが、昭和70年代の北43東1ですって。月寒とは関係ありませんでした

自転車に泥水をかけられないように非難する女の子(?)
なんか 良い光景です。遠くにかすかに見える山は手稲ですかね



photo:札幌写真ライブラリー

月寒公園のボート

何十年も前の写真ですが、この場所は現在もほぼこのまま。

tsukisamukouennoike.jpg


写真右側は山になっており、小学生の頃この斜面を自転車で降りてきて勢い余って池にダイブした…まさにその現場です。
中学校に入り、彼女との初デートでここに来てボートに乗りました。
乗り込んでから、オールの漕ぎ方を知らないコトに気付きました。時間が来てボート番号を呼ばれてもなかなか戻ることが出来ず、おじさんが岸から長い棒でボートをたぐり寄せてくれました。

その後彼女とは別れました








photo:札幌写真ライブラリー




入園日

たぶん…昭和46年の春。 幼稚園入園の日の私です。


200608181302000.jpg



私の時代はテレビも写真も「カラー」の世代です。
当然この写真もカラーなのですが懐古効果を付けるためにセピア処理しちゃいました。

自宅は写真左側。背後に見える草木は向かいの辰巳さん宅のお庭。その向こうのお宅は獅子原さん。さらに奥の建物は2軒入るテラスハウスで、昭和50年代に火事で3人の幼い子供達が亡くなった暗い出来事がありました。

雪解け間もない地面は未舗装ですね。春になると雪の下から顔を出す土の匂い…、懐かしいです。

いやーそれにしてもめんこい坊やだこと(笑)


photo:父




昭和の夏休み【月寒公園のプール】

実家から子供の足で歩いて15分度の月寒公園
歴史的な背景としては、陸軍の射撃場であった…というお話は後日に回して、プールのお話です。

大きな貝の滑り台が印象的だった市営の屋外プールは、小学校の5年生頃まで行きましたが気が付けば今は無くなってます。そりゃそーでしょうね。このご時勢「屋外」というのは衛生的にマズいでしょうし…。

tsukisamupu-ru.jpg


利用は当然無料で、写真手前の滑り台付きが浅いほうで、奥に少しだけ見えている方は少し深い高学年用のプールです。
このプールは写真でも判るとおり山の上にあったんです。麓に小さな商店があって、帰りにラムネを買って飲むのが最高の贅沢でした♪

自慢じゃありませんが私はガキんちょの頃泳げませんでした。たいていのスポーツはこなしていたのですが、「水」だけは苦手だったのです。
それがある日の学校の水泳学習で、憧れていた女子から「泳げないの?」と発せられた一言に恥ずかしさと悔しさを覚え、同じ「カナヅチ」であった級友と二人で、「月寒プールで秘密の特訓をしよう」と約束をして通ったのです。
……が、その特訓現場に当事者の女子が居てバッチリ見つかってしまい、「練習してるのー?頑張ってねー」とトドメの一撃を食らわされたのです。子供心にプライドをズタズタにされた瞬間でした。

でもね…、結局私はその特訓で水泳をマスター出来たんです。




昭和の夏休み【盆踊り大会】

0714blog1.jpg



お盆には皆里帰りをしてしまい町内会が閑散としてしまうので、昔ながらの盆踊り大会を夏祭りと改名して7月の下旬から8月上旬に繰り上げる町内会が増えました。
…というか、殆どの町内会がそうなっちゃいましたね。
では、「里帰りされる側」の町内会は未だにお盆の開催をしているのでしょうか?私も暫くお盆に実家へ帰っていないので、今年は是非とも確認してみたいと思います。

昭和40年代から50年代の夏休みを振り返ります。
確か7月20日頃から8月16日くらいまでの期間でしたね。町内会の盆踊り大会は決まって8月13・14.15の三日間でしたから、小学生の私にとっては夏休みのクライマックスを飾る重要な(笑)イベントでありました。
会場は地図中の⑤番。高台公園でした。今でもポピュラーの座を維持する子供盆踊りの唄を始め、「パタパタ」とか「ジェンカ」等のフォークダンスもありましたし、三波春夫の「世界の国からこんにちは」も踊ってましたね…。
毎回、1部が子供の部、2部が大人の部と分けられていて、大人の部になると浴衣を着た父さん母さん婆ちゃん達が北海盆唄を踊り出すわけですが、この光景を私は最後まで見届けたことがありません。何せ子供は2部の時間まで公園に居ることが許されませんでしたから。

月寒町内会の盆踊り会場(高台公園)は本当に狭い場所でしたが、当時は各町内の細かいブロック毎で会場を設けていましたし、マンションだって無かったので人口も過密せず、皆狭い会場でも満足していたんだと思います。勿論今のような「露店」だってありませんでした。純粋に「盆踊りを踊る」。それだけのイベントに大人も子供も喜んで集まっていたんですね。

ちなみに…「盆踊り」と言えばやぐらと太鼓ですが、高台公園の盆踊りの場合、やぐらは当然ありましたが太鼓が無かったんです。それだけは子供心に「欲しいなぁ」と思っていましたね…


プロフィール

nalio

Author:nalio
純潔の日本人でありながら欧米系の顔をしていたため、幼少から外国人の子供に見間違われる毎日で、近所の子供達からつけられたあだ名が「キューピー」。当時キューピーと言えば、西洋の子供像をイメージする代表的なキャラクターだったんですね。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。