月寒懐古録
北海道では珍しく軍都として栄えた歴史を持ち,今も幾つかの戦争遺産が残る月寒史の探求を行う、非常にコアで自己満足系のブログでございます。

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兵隊の行進

昨日は広島の原爆記念日でした。今年は官僚の失言が世論に火を付けて、当人が責任を取って辞任した後も尚、尾を引いてるようです。
被爆に苦しみ訴えてきた人 被爆の事実を言えずに苦しんできた人 日本がどーしたとかアメリカがどーした…というコトとは関係なく、問答無用で戦争も核兵器もあってはならないんですね。

下の写真は1920年代の札幌駅前通り。奥に見える建物が駅舎です。



こうしてみると改めて、本当に戦争ってあったんだなぁ…と感じます。
沿道の市民に見守られながら行進する兵隊さん… おびただしい数です。
隊列の横を馬に乗った士官がガードしてます。
この隊列の行き先はやはり、月寒なんでしょうね…



【photo:札幌写真ライブラリー】
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消防望楼

第9回さっぽろ雪祭りの大通り会場です。
テレビ塔がいやにスッキリして見えるのは、まだ電光時計が付いていないからですね…




それはいーとして… 矢印を付けたところに謎の塔が…? 位置的にはテレビ塔の南東あたり。今は当然こんなのありません。


その正体は 消防望楼 です。


20070804174004.jpg


上の写真は創世川を南側から撮影してるので、本来なら望楼の左側にテレビ塔が見えるはずなんですが、この写真はテレビ塔が建設される以前のもの。創世川で遊ぶ子供が居ますね…。

消防望楼…とは、簡単に言うと「火の見やぐら」ですね。昭和2年に建設された当時は「東洋一」と言われる程高く(43.33m)美しい塔だったんですって。市内の火事を見張るんですから当然、どの建物より高く、札幌のシンボルになってたそーなんです … が、やがて隣にテレビ塔が出来、高層ビルも出来初めたおかげで望楼の見晴らしは悪くなっちゃいました。
そんなワケで、歴史的文化財の保存概念が全くない札幌市は、何のためらいもなく昭和40年に壊しちゃったんですねー。嫌ですねー全く…


この望楼は大通公園の斜め隣、創世川のほとりにありました。その位置関係が判り易い写真がコレ↓です。

20070804174019.jpg


この写真も古いのでテレビ塔がありませんが、大通りから室蘭街道(現国道36号線)まで望める貴重なワンショットです。

…で、ちなみに なんですが、望楼と国道の中間地点に創世川をまたぐ格好で「テレビ塔」に似た鉄塔が立ってるの 見えます? これ、新発見です。  一体何者なんでしょーか?


別角度の写真を探してみました。 南4条橋(国道36号線)から撮ったものです。

20070804174036.jpg


謎の鉄塔…以外に低いですが間違いなく存在してます。その向こうに望楼とテレビ塔も見えますね。


こーゆーコトには異常な探究心をむき出しにする私は、さらに謎の塔の決定的写真を探し出しました。

b5.jpg


ほら… 間違いなく川をまたいでるでしょ? しかも「小ぶり」でしょ?


この鉄塔が何の目的でここにあったのか判りませんが、ひとつ気になった点があります。
それは、この写真…「テレビ塔」というジャンルの中に振り分けられていたってことです。

テレビ塔? もしかして 初代の?




photo:札幌写真ライブラリー

豊平駅

前回の記事で、防空指揮所と地下トンネルでつながっていたとかいないとかを書いた場所。

toyohiraeki.jpg


国道36号線沿いにあった駅で、線路は国道を横断して東西にのびていました。昭和44年に廃止になってるので、私生まれてますが残念ながら2歳という若さゆえ記憶はございません…

でもこの駅舎は「東急不動産」の建物として見慣れてきた風景です。本当につい最近、平成17年に壊されちゃいました。その後に建つのはやっぱり「高層マンション」。経済活動の仕組みを考えたら仕方がないのでしょうけど、ホントーにマンション建設っちゅーやつは節操が無いです。哀し過ぎる…

写真は雨上がりのようですね。ナショナルとか映画の看板とかの商用広告物が見えます。左端の鉄塔には「定鉄不動産」「東芝」「カラー」などの看板が掲げられてますが、この脇を線路が走っていたんです。
それにしてもこの時代はカラーテレビが誕生して間もない頃。「カラー」というゴシックには庶民を引きつける大きな宣伝効果があったんでしょうねぇー。

旧豊平橋の位置

ちょっとしつこいんですが、旧豊平橋の続ネタです。

兼ねてから疑問に思っていたんです。旧豊平橋は、現在の橋より西側にあったのか東側にあったのか?
そこで思いついた方法がコレ↓
gousei.jpg


GoogleEarthの衛星写真と国土地理院発行の空中写真(昭和27年)を重ねてみたんです。
破線の赤丸部分、判りますかー?心霊写真みたいですけど、ボヤーと見えてる太い方が現在の橋で、右側の細い方が旧橋です。両岸の道路のトレースも若干違いますね。
この国道を中心部から豊平に向かって走ってくると判るのですが、道路の左側が不自然に広くて、歩道が二重になってるんです。ホント走りにくい場所なんですが、その理由が判りましたねー。旧道だったワケですねー。


だったら河川敷にも、もしかすると旧橋の痕跡が残ってるんじゃないかな?


                 …行ってみました。


200707311843000.jpg


旧豊平橋は、この点線のラインにあったはず。
その根元は……



200707311845000.jpg


なんかよく判らない…


そういえば橋の袂(たもと)にこんなものがありました。↓



200707311842000.jpg


吉田 茂八 …

江戸時代末期、豊平川左岸の渡守ですって。
右岸にも誰かの石碑があるのでしょうか?

…ということで 行ってみ ませんでした (笑)




古写真鑑定

1960年代の国道36号線。豊平3条8丁目付近です。

20070804134155.jpg




なんか見慣れた風景に感じるのは恐らく、前方にテレビ塔が見えてるからですねーきっと。
現在でもこの道路からテレビ塔は、高層ビルに邪魔されながらも見えてますからね。
それでこの写真。なんと道路のど真ん中に線路ですよ。しかも停留所です。電車を待つ人が居ます。

写真説明には「1960年代」とあるだけなので、その10年間の中のどのあたりに撮影されたものなのか、推察してみましょう(はい。モノ好きです。)
まずはテレビ塔。建設は昭和32年ですが、塔の中間に見える「電光時計」は昭和36年に後付けされたもの。
そして市電。ここを通っていた豊平線はじょうてつの豊平駅が終点で、昭和46年まで運行していたそうです。
でもこれだけでは時代を絞り込めてませんね…。
そこで次に目を付けたのが、写真に写るタクシー。  これ、紛れも無く「箱スカ」ですよね。
このモデルは3代目のスカイラインで、デビューが昭和43年9月なのです。秋に新車が発売された即座にタクシー会社が入れ替えを行うのは考えにくいから、発売の翌年以降…というセンが強いですね。
雪が無く街路樹が生い茂っているのと、電車を待つ男性が半袖を着ているので季節は7月以降。
と いうことで写真の撮影時期は、昭和44年7月から46年までの2年間ということが判りました♪

…だからナンだってコト無いんですけど。



photo:札幌写真ライブラリー


幻の美橋 豊平橋

tb1.jpg


どこぞ異国のモダンな河川敷? と思いきや、これは国道36号線の豊平区と中央区をつなぐ豊平橋!大正13年の写真です。
写真手前が中央区側ということなので、現在の交番あたりから豊平方面を望むアングルで撮影されたものですね。
橋脚がみかげ石で出来ていたんですって♪ロマンチックなデザインですねー。この橋の完成と同時に開通した市電も写ってますが、これまたレトロの極みです。


tb2.jpg


そして上の写真は昭和20年代に入ってからのものです。今度は豊平区側からの撮影方向です。橋の向こうの道路が現在と同じように左カーブしてるのがわかりますね。大正時代と比べ、この頃から自動車がちらほら走り始めたようです。一番手前に3輪トラック、電車の後ろには乗用車が走ってます。そしてちなみに電車の横を交差するのはトラック…に見えますが「馬車」のようですね。荷台の上にぴょこんと人の頭が見えてますから。


tb3.jpg


こちらは1960年代。1枚目の撮影ポイントから少し中央区側に下がった場所から写されてます。1枚目には写ってなかった交番が見えます。
ちなみにこれ、写真説明には「聖火リレーの練習」とありました。

この美しい鉄橋は、私が産声を上げる前年の昭和41年に姿を消したそうですから、この練習は「札幌冬季オリンピック」のための練習でしょうか?。…確かオリンピックは1972年、当時5歳だった私の実家もこの国道そばにあり、小さな日章旗を振って聖火ランナーを応援した記憶がありますから、この写真の練習は少なくとも「本番6年前」の光景ってことに?


こんなに美しい豊平橋が何故取り壊されてしまったんでしょう?
その答えが浮き彫りにされている写真がコレ↓です。
tb4.jpg

撮影時期は限りなく昭和41年に近い頃だと思うのですが、この交通量…。国道の幅員が27mあるのに対し橋の上は18mしかなく、しかもセンターを電車が通ってますから車は片側1車線。さらにこの頃から走るようになった路面バスが写ってますね。豊平区まで延びていた市電もそろそろ用無しになってきたワケで、このモダンな豊平橋は渋滞を回避する理由で多くの市民に惜しまれながら解体されてしまい、現在は精巧な模型となって「開拓記念館」に飾られているそうですよ。


旧豊平橋に興味を持たれたマニアな方は是非とも
国土交通省の専用ページをご覧になって下さい♪


【photo:札幌市写真ライブラリー所蔵】







レトロ月寒中央通商店街

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つきさっぷ郷土資料館所蔵

30年代初め、月寒中央通り6丁目の商店街風景です。「ナショナル蛍光灯」のカラー看板が掲げられている電気屋さんと「石丸時計店」。そしてなんとも引き立っているのがオレンジと赤のカラーリングが鮮やかなトラックですね。ドアに三菱マークが書かれていますが、電気屋さんのものでしょう。しかもこのトラック。ホワイトリボンタイヤが真新しい感じがします。新車でしょうかね?
この商店街には、写真の時代から今も尚営業されているお店もあるので、石丸時計店さんも・・?と思いネットサーフィンをしてみると、同名の時計店を発見!ただし・・九州だったんです。
月寒で開業をしてから、なんらかの理由で九州に・・という勝手な妄想を膨らませた物好きな私は(笑)、さっそく石丸時計店さんにメールを送ってみた のですが・・・
                 無関係でした(笑)


ですがこの写真の風景・・。ホント大好きです。たまりません。
これが後の「弾丸道路」と呼ばれる程に交通量の激しい国道36号線だなんて、想像しがたい程の雰囲気ですよね?
つきさっぷ郷土資料館にはまだまだ商店街の写真があります。まだ舗装もされていない国道を悠々と歩く人や馬など、近日中に伺って写真を撮らせて頂こうと思います♪


九州の石丸時計店さん。大変お忙しい中にも関らず親切な対応をして下さり、本当にありがとうございました♪






1947年の月寒

国土地理院のホームページに試験公開している空中写真というものがあります。聞き慣れない言葉ですが、要するに「航空写真」のことでして全国の主要都市の写真が公開されているのですが、その中に非常に興味深い貴重な資料がありました。
終戦から2年後の1947年に米軍が撮影した札幌市の航空写真なんです。木造平屋が連なる中心部から国道36号線を南下してゆくと、当時は鉄のアーチ橋だった豊平橋を渡ったとたん、道路脇には延々と田園風景が広がります。それが、豊平区美園と月寒の境界線となる望月寒川を越えたあたりから急に建物がひしめき合っている光景になるのですが、ここが私の実家周辺、軍都として栄えた「つきさっぷ商店街」です。
この写真はイマイチ解像度が宜しくないので拡大転写が出来ないのですが、同じような写真を大きなボードに引き伸ばしたものが、つきさっぷ郷土資料館にも展示されています。


ごめんなさい… ホント コアです。この辺りに住んでる人でも判らないような写真なのですが、解説します。

kuchuushashin.jpg




「国道36号線」と書かれた部分の右側にT字路がありますが、上から伸びてきてる道路は現在JR白石駅から始まる「白石中の島通り」で、文字通り今は国道36号線を突っ切って中島公園まで続いています。この道路を挟むようにして軍事施設が存在し、指令官官邸までの道路は重要であったらしく、国道より若干道幅が広いのが判ります。
歩兵第25連隊の敷地は、現在の月寒高校だけではなく、地図上の一番右端まで全て連隊の敷地で、さらに向こうには練兵所がありました。


ちなみに「赤い点」ですが… 私の実家です(笑)
ご覧の通り畑です。道も見当たりません。




昭和40年代とは・・・

俗に「レトロ」とか「懐かしい昭和の風景」とかと呼ばれるものって大抵、映画「三丁目の夕日」に代表される30年代を指して言われますよね?
海外メーカーのデザインを模倣した自動車とか家具。国産のテレビや冷蔵庫の発売とか各種日常品の広告看板やテレビCMなど…


これらは戦後、父親達が大奮起して物凄いスピードで経済復興を成し遂げた副産物達です。
短期間で目まぐるしい数の国産工業製品や家電製品が生まれ、それらが大正期から変わらない木造家屋の風景に溶け込んでいった…とてもセンセーショナルな(?)時代だったからこそ、この時代に生きた愛好者達に「レトロ」と称して愛される所以なんんじゃないでしょうか?

oronain.jpg


かくいう私も、30年代の大ファンです。小さい頃から古い木造家屋を見かけたら「壊さないでいて欲しいな」と思ったり、それこそオロナインやボンカレーの鉄板看板が大好きでしたねぇ…。

が・・・

お断りしておきますが私は 40年代生まれです。 はい。

生まれてもいない時代の風景を好む理由は自分でも良く判りません。我ながら実に不可解な趣味だと思います(笑)
ですが40年代の風景を思い起こしてみると、一つ判った事があったんです。


下は、私が生まれた昭和40年代。札幌市内の国道です。
0726.jpg


ダイハツの三輪車やダットサン… 物凄いレトロですよね?
奥に見える黒い乗用車は、ドアが観音開きする「初代クラウン」ですよ♪

この風景も去ることながら、札幌のような田舎(当時)では家屋も殆どが木造で、30年代の風景が全く損なわれていなかったんです。
さらに"時代背景"的なコトを申しますと、昭和30年代以降、日本の経済文化がドカンと発展したのは50年代に入ってから。この時代に出現したテレビゲームなるものは、ガキんちょの私にとって実にセンセーショナルでした。
そういうわけで40年代というのは「お祭りの間の何も無い期間ということになるのですが、ただ何も無かったわけではなく、50年代の「脱皮」に向けてジワジワと新しいモノが出始めていた10年間だったんだと思うのです。
要するに、30年代のレトロな風景と、50年代の近代的な風景がオーバーラップして存在していた ってコトです。
回りくどい言い回しでごめんなさい…

30年代を「レトロ」と称する意味合いには、「懐かしい」とか「古き良き時代」という愛情が込められています。
だけど、この時代に生きて一生懸命に働いた父親達全てがそう思っているわけじゃありません。
団塊の世代は、私達なんか想像も出来ない程の努力と苦労をされたんですから、全てが「良き思い出」とは言えないですよね?

そんな、実生活の苦悩を知らずして私は、風景だけ30年代を味わいながら幼少期を過ごし、多感な少年期に50年代の新風をも味わって育ったわけですから、とても贅沢な世代なんだと感じているのです。


プロフィール

nalio

Author:nalio
純潔の日本人でありながら欧米系の顔をしていたため、幼少から外国人の子供に見間違われる毎日で、近所の子供達からつけられたあだ名が「キューピー」。当時キューピーと言えば、西洋の子供像をイメージする代表的なキャラクターだったんですね。

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