月寒懐古録
北海道では珍しく軍都として栄えた歴史を持ち,今も幾つかの戦争遺産が残る月寒史の探求を行う、非常にコアで自己満足系のブログでございます。

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兵隊の行進

昨日は広島の原爆記念日でした。今年は官僚の失言が世論に火を付けて、当人が責任を取って辞任した後も尚、尾を引いてるようです。
被爆に苦しみ訴えてきた人 被爆の事実を言えずに苦しんできた人 日本がどーしたとかアメリカがどーした…というコトとは関係なく、問答無用で戦争も核兵器もあってはならないんですね。

下の写真は1920年代の札幌駅前通り。奥に見える建物が駅舎です。



こうしてみると改めて、本当に戦争ってあったんだなぁ…と感じます。
沿道の市民に見守られながら行進する兵隊さん… おびただしい数です。
隊列の横を馬に乗った士官がガードしてます。
この隊列の行き先はやはり、月寒なんでしょうね…



【photo:札幌写真ライブラリー】
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懐古な家屋2

こちらも実家の近くで、同じ形の住宅が2棟見えますね。元々は4棟並んでいたんです。「建売住宅」だったんでしょうかね…。南向きに玄関と庭があるので明るい雰囲気のお宅です。




私の実家はモルタルを塗っていない木造平屋だったので、とにかく2階建ての家には強い憧れを持ってました。
恐らく私はこんな住宅を、他の土地で見掛けても然程気に留めないんでしょうけど、小さい頃から見慣れてきた懐かしさがあるだけに執着しちゃうんでしょうね… 他人のお宅なんですけど…



【photo:きゅうぴい2007】

懐古な家屋

レトロな民家といえばやはり木造家屋ですし、実際私の「生家」もそうでした。結構不確かな記憶ですけど、木造丸出しの家屋ってのは30年代以前の建築物に多かったんじゃないでしょうか?私が見てきた40年代の風景は、木造にモルタルを塗った家屋が登場し始めていた気がします。




当時は新し目だったモルタル塗り家屋も今では珍しくなっちゃいました。上の写真は実家近くに今も現存する一般の方のお宅です。このお宅の隣に友達の家がありました。つきさっぷ郷土資料館とは目と鼻の先です。玄関戸と屋根だけは新しいものに替えられてますが、おおかた当時のままです。



【photo:きゅうぴい2007】

消防望楼

第9回さっぽろ雪祭りの大通り会場です。
テレビ塔がいやにスッキリして見えるのは、まだ電光時計が付いていないからですね…




それはいーとして… 矢印を付けたところに謎の塔が…? 位置的にはテレビ塔の南東あたり。今は当然こんなのありません。


その正体は 消防望楼 です。


20070804174004.jpg


上の写真は創世川を南側から撮影してるので、本来なら望楼の左側にテレビ塔が見えるはずなんですが、この写真はテレビ塔が建設される以前のもの。創世川で遊ぶ子供が居ますね…。

消防望楼…とは、簡単に言うと「火の見やぐら」ですね。昭和2年に建設された当時は「東洋一」と言われる程高く(43.33m)美しい塔だったんですって。市内の火事を見張るんですから当然、どの建物より高く、札幌のシンボルになってたそーなんです … が、やがて隣にテレビ塔が出来、高層ビルも出来初めたおかげで望楼の見晴らしは悪くなっちゃいました。
そんなワケで、歴史的文化財の保存概念が全くない札幌市は、何のためらいもなく昭和40年に壊しちゃったんですねー。嫌ですねー全く…


この望楼は大通公園の斜め隣、創世川のほとりにありました。その位置関係が判り易い写真がコレ↓です。

20070804174019.jpg


この写真も古いのでテレビ塔がありませんが、大通りから室蘭街道(現国道36号線)まで望める貴重なワンショットです。

…で、ちなみに なんですが、望楼と国道の中間地点に創世川をまたぐ格好で「テレビ塔」に似た鉄塔が立ってるの 見えます? これ、新発見です。  一体何者なんでしょーか?


別角度の写真を探してみました。 南4条橋(国道36号線)から撮ったものです。

20070804174036.jpg


謎の鉄塔…以外に低いですが間違いなく存在してます。その向こうに望楼とテレビ塔も見えますね。


こーゆーコトには異常な探究心をむき出しにする私は、さらに謎の塔の決定的写真を探し出しました。

b5.jpg


ほら… 間違いなく川をまたいでるでしょ? しかも「小ぶり」でしょ?


この鉄塔が何の目的でここにあったのか判りませんが、ひとつ気になった点があります。
それは、この写真…「テレビ塔」というジャンルの中に振り分けられていたってことです。

テレビ塔? もしかして 初代の?




photo:札幌写真ライブラリー

みずたまりの道

doronko.jpg


こんな道。昔は住宅街のいたるどころにありました。

水溜りの中をよく見ると、意外と1円玉が落ちてたり
アメンボが居たり
ブクブクっと 不可思議な気泡が出てたり…

写真ですが、昭和70年代の北43東1ですって。月寒とは関係ありませんでした

自転車に泥水をかけられないように非難する女の子(?)
なんか 良い光景です。遠くにかすかに見える山は手稲ですかね



photo:札幌写真ライブラリー

月寒公園のボート

何十年も前の写真ですが、この場所は現在もほぼこのまま。

tsukisamukouennoike.jpg


写真右側は山になっており、小学生の頃この斜面を自転車で降りてきて勢い余って池にダイブした…まさにその現場です。
中学校に入り、彼女との初デートでここに来てボートに乗りました。
乗り込んでから、オールの漕ぎ方を知らないコトに気付きました。時間が来てボート番号を呼ばれてもなかなか戻ることが出来ず、おじさんが岸から長い棒でボートをたぐり寄せてくれました。

その後彼女とは別れました








photo:札幌写真ライブラリー




歩兵第25連隊

つきさっぷ郷土資料館に行ってきました。
私の写真技術が悪く撮影した写真の殆どが失敗で、唯一使えそうだった写真がこれでございます。

25seimon.jpg


写真に写る門番さん。手にしているのは三八式歩兵小銃でしょうか?何気な銃の持ち方が妙にリアルですね。そりゃそーですよね。戦時中なんですから。

この正門は現在の中央通4丁目付近にありました。
この門の手前両脇に松の木が2本あり、そのうちの1本が現在も残ってます。昔「月寒ハワイ」というキャバレーがあった建物の前です。営門の松というプレートが付けられていたんですが、木が電線に接触してるし朽ちてるしで、ちゃんと管理してる風でも無かったなぁ…。
写真アングルで言えば、国道36号線を背にして東向きの風景。兵隊さんの背後は節操なく乱立するマンション。さらにその後ろは月寒高校のグラウンドになってます。

ここには昭和天皇も来られた記録があり、そのときの写真が郷土資料館に飾られています。


今度はしっかり写真技術を向上して行って来ますです。







photo:つきさっぷ郷土資料館

豊平駅

前回の記事で、防空指揮所と地下トンネルでつながっていたとかいないとかを書いた場所。

toyohiraeki.jpg


国道36号線沿いにあった駅で、線路は国道を横断して東西にのびていました。昭和44年に廃止になってるので、私生まれてますが残念ながら2歳という若さゆえ記憶はございません…

でもこの駅舎は「東急不動産」の建物として見慣れてきた風景です。本当につい最近、平成17年に壊されちゃいました。その後に建つのはやっぱり「高層マンション」。経済活動の仕組みを考えたら仕方がないのでしょうけど、ホントーにマンション建設っちゅーやつは節操が無いです。哀し過ぎる…

写真は雨上がりのようですね。ナショナルとか映画の看板とかの商用広告物が見えます。左端の鉄塔には「定鉄不動産」「東芝」「カラー」などの看板が掲げられてますが、この脇を線路が走っていたんです。
それにしてもこの時代はカラーテレビが誕生して間もない頃。「カラー」というゴシックには庶民を引きつける大きな宣伝効果があったんでしょうねぇー。

トンネルの噂

不気味なコンクリート要塞…と言われますけど、北部軍司令部唯一の現存戦争遺跡であると同時に私にとっては幼い頃からずっと見てきた故郷の一部分です。
本当に取り壊されてしまうのかなぁ? 哀しい心配です。


boukuushikijo.jpg


この建物を色んな方々が記事にしてネット配信してますが、中にはこの場所を堂々と「白石区」と書いてる(なんと新聞社)所がありましたが、ここはレッキとしたつきさっぷですから!

様々な証言や見解、そして憶測も交えて「地下トンネル」説が囁かれてます。
ここから数百メートル南下した場所にあった歩兵第25連隊(現月寒高校)まで掘られていた…という話は私も聴きましたし、実際に地下鉄東豊線を建設する際にトンネルの存在を確認する為の地下調査を行った事実もありました。でもその結果、地下壕があったという話は聴きません。
ネット上に配信されている記事の中には「豊平駅まで続いていた」というビックリ情報もありましたが、豊平駅ってのは昔の「定山渓鉄道」の駅で、国道36号線沿い、豊平3条8丁目にありました。防空指揮所からは北に4kmくらい。これが本当にあれば地下鉄を掘るのは不可能だったでしょうね…。だからこの情報はちょっと信用度に欠けます。

でも… 暑さ2mもの天井に草を生やしてカムフラージュしたり正面入り口付近には分厚い防護壁があったりと敵機襲来に備えた完全防備の要塞ですから、地下連絡通路を設けるってのはごく自然な策でしょうから、近距離トンネルの存在は充分に考えられるんじゃないでしょうか?
今度資料館に行ったら係りの人(戦争当時から月寒に住んでいた生き証人が居るんですよ♪)に聴いてみよ!

防空指揮所の位置はこの地図でご確認ください








入園日

たぶん…昭和46年の春。 幼稚園入園の日の私です。


200608181302000.jpg



私の時代はテレビも写真も「カラー」の世代です。
当然この写真もカラーなのですが懐古効果を付けるためにセピア処理しちゃいました。

自宅は写真左側。背後に見える草木は向かいの辰巳さん宅のお庭。その向こうのお宅は獅子原さん。さらに奥の建物は2軒入るテラスハウスで、昭和50年代に火事で3人の幼い子供達が亡くなった暗い出来事がありました。

雪解け間もない地面は未舗装ですね。春になると雪の下から顔を出す土の匂い…、懐かしいです。

いやーそれにしてもめんこい坊やだこと(笑)


photo:父




プロフィール

nalio

Author:nalio
純潔の日本人でありながら欧米系の顔をしていたため、幼少から外国人の子供に見間違われる毎日で、近所の子供達からつけられたあだ名が「キューピー」。当時キューピーと言えば、西洋の子供像をイメージする代表的なキャラクターだったんですね。

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