月寒懐古録
北海道では珍しく軍都として栄えた歴史を持ち,今も幾つかの戦争遺産が残る月寒史の探求を行う、非常にコアで自己満足系のブログでございます。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

旧豊平橋の位置

ちょっとしつこいんですが、旧豊平橋の続ネタです。

兼ねてから疑問に思っていたんです。旧豊平橋は、現在の橋より西側にあったのか東側にあったのか?
そこで思いついた方法がコレ↓
gousei.jpg


GoogleEarthの衛星写真と国土地理院発行の空中写真(昭和27年)を重ねてみたんです。
破線の赤丸部分、判りますかー?心霊写真みたいですけど、ボヤーと見えてる太い方が現在の橋で、右側の細い方が旧橋です。両岸の道路のトレースも若干違いますね。
この国道を中心部から豊平に向かって走ってくると判るのですが、道路の左側が不自然に広くて、歩道が二重になってるんです。ホント走りにくい場所なんですが、その理由が判りましたねー。旧道だったワケですねー。


だったら河川敷にも、もしかすると旧橋の痕跡が残ってるんじゃないかな?


                 …行ってみました。


200707311843000.jpg


旧豊平橋は、この点線のラインにあったはず。
その根元は……



200707311845000.jpg


なんかよく判らない…


そういえば橋の袂(たもと)にこんなものがありました。↓



200707311842000.jpg


吉田 茂八 …

江戸時代末期、豊平川左岸の渡守ですって。
右岸にも誰かの石碑があるのでしょうか?

…ということで 行ってみ ませんでした (笑)




スポンサーサイト

コメント

二番目の写真の点線部分のところには、
豊平橋を建て替えるときに仮橋を作ったんですよね。

【2010/06/22 23:15】 URL | hs620b #-[ 編集]

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

プロフィール

nalio

Author:nalio
純潔の日本人でありながら欧米系の顔をしていたため、幼少から外国人の子供に見間違われる毎日で、近所の子供達からつけられたあだ名が「キューピー」。当時キューピーと言えば、西洋の子供像をイメージする代表的なキャラクターだったんですね。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。