月寒懐古録
北海道では珍しく軍都として栄えた歴史を持ち,今も幾つかの戦争遺産が残る月寒史の探求を行う、非常にコアで自己満足系のブログでございます。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

トンネルの噂

不気味なコンクリート要塞…と言われますけど、北部軍司令部唯一の現存戦争遺跡であると同時に私にとっては幼い頃からずっと見てきた故郷の一部分です。
本当に取り壊されてしまうのかなぁ? 哀しい心配です。


boukuushikijo.jpg


この建物を色んな方々が記事にしてネット配信してますが、中にはこの場所を堂々と「白石区」と書いてる(なんと新聞社)所がありましたが、ここはレッキとしたつきさっぷですから!

様々な証言や見解、そして憶測も交えて「地下トンネル」説が囁かれてます。
ここから数百メートル南下した場所にあった歩兵第25連隊(現月寒高校)まで掘られていた…という話は私も聴きましたし、実際に地下鉄東豊線を建設する際にトンネルの存在を確認する為の地下調査を行った事実もありました。でもその結果、地下壕があったという話は聴きません。
ネット上に配信されている記事の中には「豊平駅まで続いていた」というビックリ情報もありましたが、豊平駅ってのは昔の「定山渓鉄道」の駅で、国道36号線沿い、豊平3条8丁目にありました。防空指揮所からは北に4kmくらい。これが本当にあれば地下鉄を掘るのは不可能だったでしょうね…。だからこの情報はちょっと信用度に欠けます。

でも… 暑さ2mもの天井に草を生やしてカムフラージュしたり正面入り口付近には分厚い防護壁があったりと敵機襲来に備えた完全防備の要塞ですから、地下連絡通路を設けるってのはごく自然な策でしょうから、近距離トンネルの存在は充分に考えられるんじゃないでしょうか?
今度資料館に行ったら係りの人(戦争当時から月寒に住んでいた生き証人が居るんですよ♪)に聴いてみよ!

防空指揮所の位置はこの地図でご確認ください








スポンサーサイト

コメント

こんばんは。
あちこちネットを見ていたら偶然見つけました。防空指揮所ほとんど解体されましたね。残念です。
さて、トンネルの噂ですが、私も耳にしたことがありますが、昨年三年ぶりに行ったつきさっぷ資料館で、旧陸軍樺太混成旅団長だった石田保忠陸軍中将(陸士27期卒・陸大39期卒で昭和19年病死)のご子息と会いました。現在は千葉県船橋市在住だそうですが、かつては忠霊塔の裏にあった将校用官舎に住んでいたそうです。ご子息は「防空指揮所から官舎までトンネルがあった」と語っておられましたよ。本当ならトンネルが存在したことになりますね。ちなみに石田中将の写真も資料館二階にあります。現在学校が建っている北部軍司令部前で数名の将校と共に写っています。
【2008/02/26 02:03】 URL | ケケ #LkZag.iM[ 編集]

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

プロフィール

nalio

Author:nalio
純潔の日本人でありながら欧米系の顔をしていたため、幼少から外国人の子供に見間違われる毎日で、近所の子供達からつけられたあだ名が「キューピー」。当時キューピーと言えば、西洋の子供像をイメージする代表的なキャラクターだったんですね。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。